97年〜99年

 その後、97年4月までレーシングカーに乗る事ができなかった。

 自分で働くだけでは、資金が足りない。早くもレース活動中止。

 そんな時に、4月のレースに参戦できる事が決まる。

 練習はなしで、レースウィークだけ乗るなら、って条件で。

 去年、最終戦で悔しい思いをした。ザウルスカップ。

 今回も、JTCCの前座。観客数も4万人〜5万人。

 意気込んで、レースウィークに乗り込んだ。雨。。雨。。。大雨。

 中止の声も多かったが、1時間以上遅れて、予選は開始された。

 コース上では、スピンやコースアウトが続出。

 雨の中では、とにかくコース上に留まって、走る事だ。

 頭の中は冷静だったはずが、予想以上の雨に、3周目でコースアウト。

 オレの予選は、これで終わった。12台中、9位で予選を終える。

 ザウルスでは、波に乗れない。。。決勝日は、大雨と濃霧の為、中止。


 レーシングカート

 4月のザウルスレースを境に、レース活動が途切れる。

 そんな時、友達にレーシングカートに乗せてもらう事ができた。

 何も乗れないのを不憫に思ってくれたんだろう(笑)

 これが、カート初体験。

 その後、友人達がお金を集めてカートを1台プレゼントしてくれた。

 早速、自分のカートで走りに行くと、コースレコードを記録。

 それを見てくれた方が結果的に、最初のスポンサー。

 その人も負けず嫌いで、同じカートで勝負してオレに勝てないもんだから、

 リードバルブのエンジンを用意してきた(笑)

 コーナーでは、追い付くけど、ストレートが速くて抜けない。

 。。。。。大人げなかったな〜(笑)

 でも沢山バトルできて楽しかった。。懐かしいです。

 ムービー1 →→→→→→ カートバトル

 ムービー2 →→→→→→ 雨の中のスリック

 ムービー3 →→→→→→ コースアウト?!

 雨の中は、常にスリックタイヤで走ってた。

 っというか、レインタイヤを買えなかっただけなんだけど(笑)


 MR2 ー97年8月ー

 カートを継続しながらも、やっぱり4輪にも乗りたい。

 ジムカーナC仕様の、MR2を知人に格安で譲ってもらう。

 ジムカーナ場も紹介してもらって、3日間貸し切って9万円。

 1日3万円。安いでしょ?トラックも3日貸りて、1万円。

 沢山走った。色々な事を試したりして、車の事を学んだ。

 大雨の中、スリックタイヤで走った。

 カートの様に、車重が軽くないので、雨中でスリックはきつかった。

 結果、大クラッシュ(笑)

 良い思いでです。。。。。っつーか全然良くない。


 フォーミュラミラージュ ー97年11月ー

 カートもやって、ハコもやった。

 でも、どうしてもフォーミュラに乗りたかった。

 色々な方々を紹介してもらって、辿り着いたのがこの車。

 趣味でやってる方のだった。

 お金も走行代だけで、殆ど資金は必要なかった。

 結果的には、3度だけしか乗れなかった訳なんだけど、

 これが、後のF3に続くとは想像もできなかった。

 1度目の走行では、かなりショボイ走りしかできなかった。

 。。。恐くてコーナーに飛び込んでいけなかった(苦笑)

 それでも、2度目、3度目と乗ると慣れていった。

 最後には、当時のトップタイムも記録した。

 ムービー1 →→→→→→ ストレート

 ムービー2 →→→→→→ 1コーナーより


 F3/ダラーラF394J ー97年12月ー

 フォーミュラミラージュで、トップタイムを刻んだ事で、

 可能性を、将来性を認めてくれる方々が出てきた。

 ご覧の通り、オレには戦績がない上に経験も乏しい。

 フォーミュラトヨタや、フォーミュラドリームをやるにしても、

 1000万は必要。その結果でF3に上がっていく訳だけど、

 オレには、そんな潤沢な資金がなかった。

 結果的には、F3に行く為にミドルフォーミュラをやる訳なんだけど、

 大概は、ミドルフォーミュラで資金が底をつく。

 だったら、いきなりF3をやろうと。

 ただし1年間は、旧型のF3でテストをくり返して、経験を積む。

 そんな時スポンサーも付いて、2年間契約をしてくれる事になった。

 旧型のF3を探し回り、名古屋で見つかった。

 交渉はオレが進めて、スポンサー様に話すといった具合。

 交渉も成立して、格安で購入できる事になった。

 値段書いたら、びっくりするだろうな〜(笑)

 でもね、この時危うく騙されるところだったんだよねぇ。。。

 98年4月、F3初走行。

 スポンサーの人とか、凄く楽しみにしてくれていた。

 フォーミュラミラージュでも、トップタイムを刻んでいたから、

 F3とはいえ、いきなり乗ってもトップタイムに近いんじゃないかと。

 初走行の結果は、1分36秒。

 当時のトップが33秒だから。。3秒落ち。

 皆、「初めてだからこんなもんでしょ!」

 なんて言ってくれてたけど、顔ががっかりしてたのを思い出す(苦笑)

 凄く期待してくれてたんだな〜、って申し訳なくなった。

 。。オレって、才能ない?


 F3/ダラーラF394J ー98年4月〜99年4月ー

 約1年間、とにかくF3に乗り続けた。

 大きなトラブルにも合わなかった。

 スポンサー様のご協力もあり、1週間に1度の割合。

 結果的には1分33秒台に入り、当時のトップタイムを刻む。

 レインでは、自分でもかなり速かったと思ってる。

 それを見たスポンサー様が、来年F3やるか!っと言ってくれた。

 凄く嬉しかった。オレを認めてくれる人ができた!って。

 これがオレにとって、一つの転機だった。

 思い出すと凄く懐かしいし、初心に戻れる。

 このF3には、凄く思い入れがある。

 04年現在乗ってるF3に比べると、古さを感じる。

 でも、オレにとっての道しるべだったから。

 このF3を購入してくれた方とは、今でもお付き合いがあるし、

 一緒に走る事もあるから、自分で乗ってみたいです(笑)

 この方も、スポンサーの1人だと、今でも感謝しています。

 また一緒に走りに行きましょう。

 ムービー1 →→→→→→ 雨の中/ストレート

 ムービー2 →→→→→→ 1コーナー

 ムービー3 →→→→→→ Bコーナー


 F3/ダラーラF398改 ー99年8月ー

 何人もの人達を紹介して頂き、熱く熱弁を奮った。

 資金も少しずつだが、目標金額に近付いていく。

 ダラーラF394も、資金獲得の為に売却。

 各F3チームにシャシーを譲ってもらえる様に、交渉が始った。

 全ての交渉事は、オレ自身がやる事に。

 色々と、ここでは書けない屈辱的な事もあった。

 そういう事を経験しながら、購入に至った訳なんだけど。

 沢山の方々が協力してくれた。

 各スポンサー様はじめ、友達連中も個人スポンサーになってくれた。

 ご協力して頂いてる方々の夢を乗せて、F3参戦への道のりがはじまった。


 ー99年10月ー F3/ダラーラF398改    シェイクダウン

 各スポンサー様のお力添えで、F3参戦へ向けて現実を帯びてきた。

 しかしF3は、3年毎にモデルチェンジ。それが99年。

 99年シーズンは、殆どのチームが新車。

 オレの場合、シャシーは1年落ち、エンジンは2年落ち。

 体制的には、最高!とは言えなかったが、新車は無理だった。

 でも、シェイクダウンまでこぎつけスタート地点に立つ事ができた。

 ただしタイムによっては、継続してF3に乗れるか分からなかった。

 結果、ギリギリ首一枚つながった感じでした(苦笑)

 ここまで活動してきて、突然首を切られる訳にはいかない。。

 半年も乗ってなかった訳ですし、その辺は考慮してくれました。

 シェイクダウンでのタイムは、1分31秒。

 ムービー1 →→→→→→ シェイクダウン


 ー99年12月ー F3/ダラーラF398改  鈴鹿サーキット/F3合同テスト

 12月に行われる、F3合同テストに参加。

 オレは、鈴鹿を一度も走った事がなかった。

 正直不安もあったが、何事も経験しなきゃね。

 話しには聞いてたけど、フォーミュラだとシケインが見えない。

 ホントかよ?なんて思ってたんだけど、本当に見えなかった。

 1周目から、シケインをショートカット(笑)

 とりあえず、コースを覚えるって意味で、淡々と走りきった。

 この時、お世話になってるチームと隣でやらさせてもらったんだけど、

 オレは、友人のメカと2人だったんだよね。

 タイヤだって、中古の1セットだけ。

 他のチームは、大勢いるし、タイヤだって沢山あった。

 体制面では、かなり劣ってた。

 少し、肩身も狭かった様に思うし(笑)

 凄く懐かしいです。。。

 このまま上手く波に乗れると思っていたのですが。。。


こんな風に、オレの97年〜99年という3年間が過ぎ去っていきました。

フォーミュラに乗りたい一心から、いつの間にかF3参戦へと話が大きくなった。

結果的に、沢山の方々のサポートを受けられる様になり、F3合同テストまで参加させてもらった。

2000年には、F3選手権参戦も決定していたのにも関わらず、大きな事件が。

人生は谷ばかりなのか?(笑)

2000年から、オレの人生はまたもや狂いだす訳です。